November 29, 2004
去る11月14日、
佐藤琢磨選手に直接モノを渡せるチャンスがあったため
あるスケッチブックとサロンパスと
けんくんが描いてくれたセナと琢磨選手のマシンの絵と
手紙というよりある5枚の文書を
渡してきてしまった。
これについては
ここのブログにコメントいただいたノアさんへのレスや
BBSなどでも少し触れているが、
実際にこのスケッチブックがどういった物体であったのか、
それと5枚の文書が何であったのか、
琢磨選手のファンの皆さんへ公開する意味も含めて
こちらに紹介しておくことにする。
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琢磨選手に渡したスケッチブックには
このブログで紹介した5枚の画像のうち3枚と
十数年前に描いたセナの絵4枚の原画があった。
残り10枚くらい白紙のままだったが、
千切るのもどうかとおもってそのまま持って行ってしまった。
セナの絵は以前からここのサイトで紹介してある3枚を含むものである。
・シャンパンかぶっているのと
・ブラジル国旗が透けているのと
・青いチェックのシャツでにこにこしているのと
あとコピーもスキャンもしそびれたエンピツ画の1枚があり、
全部で7枚の絵が描かれたスケッチブックであった。
(ここに表示した小さい画像をクリックすると
大きな画像がご覧頂けます。
セナの3点は、以前からこのサイトに公開しているものとは別に
改めて原画をスキャンして大きさを調整したうえでUPしました。
以前から公開しているものはカラーコピーをスキャンして縮めた画像で
実を言うとしばらくの間、この原画のスケッチブックは
どこへしまったのか、行方不明になっておりました。)
十数年前に描いたというのはつまり、
セナの生前に描いていたという事である。
1枚目のシャンパンのヤツは、
91年からセナをご存知の方はお分かりいただけるかと思うが、
セナが8年の歳月をかけて初めて母国ブラジルのインテルラゴスで優勝した時の
表彰台でのシーンである。
これは最初から「セナの為に絵を描こう!」と思って描いたわけではなく、
あのレースの衝撃ゆえ、勢いで描いてしまった感じであった。
5枚の文書というのは以下のとおりである。
カッコでくくった部分はこのブログをご覧下さってる皆さんへの
注釈・説明であるが、
それ以外の部分はこのまんまプリントしたので
琢磨選手に渡してしまったものと同じ文章である。
実は後日読みなおしたら数カ所誤字が見つかった。
今更しょうがないので気にしないことにする。
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取扱説明書
◆水と日光にご注意下さい。
ことさらに、04スズカの金曜・土曜のような雨天の日や
02スズカの決勝の日の様なカンカン照りの日などは、
屋外で御覧になる事はあまりお勧めいたしません。
◆フィキサチーフ(固定剤スプレー)を切らしてしまったため
表面の保護をする加工などを施しておりません。
ミシュランのフレッシュタイヤのようなグリップで表面をこすられると
あんまりよくない事が起こる可能性があります。
◆A・セナ選手の4枚につきましては
何の雑誌のどの写真だったかなどはまったく思い出せませんが、
佐藤琢磨選手の3枚は
それぞれ裏にもとの写真のURLを記載しておきました。
が、あんまりもとの写真とじっくり見比べられたりしますと、
ケムリになって消えてしまう現象が起きかねませんので、
できるだけお控え下さい。
(後で思ったのは
「タルイさんの作品と比べるような事は決してしないように」という
大変重要な事を書き忘れたな、という事。
「そんなことしたらバクハツする」と書いておけばよかった、と思った。)
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経緯
◆こちらの絵は、
最初は機会があればA・セナ選手ご自身に差し上げることが出来ればと
91、92、93のスズカへは取り敢えず持参したのですが、
結局お渡しする機会がないまま94年の5月を迎える事になってしまいました。
◆次に、私がF1を見るようになったきっかけとして
古舘一郎さんにたぶらかされたという事情も多々ありましたため、
それについては古舘さんに深く感謝しておりますので、
この絵は古舘さんに差し上げたいと思うようになりました。
古舘さんのライフワークであるトーキングブルースを
静岡でも公演してくれるようになったので
その時にお渡ししようと思いつつ、持って行くのを忘れてしまいました。
◆さらに次に、ある年のスズカでのファンが集まるイベントに
津川哲夫さんがナイショのゲストとして来てくださった事があり、
じゃあ今度は津川さんに!と思ったのですが、
その時はこの原画については持ってきておらず、
友人に配るつもりでカラーコピーしたのを何枚か持っていたので
津川さんにはコピーの方を差し上げました。
それが、2000年の事でした。
◆それから月日は流れ現在に至るわけですが、
このような経緯で、結局誰にも渡せずにこれが手元に残っていたのですが、
やはりこれは今こそ佐藤琢磨選手にお渡ししたいと思うようになりました。
大変個人的な事情ではありますが、
もしお邪魔でなければ、どうぞ受けとって下さい。
(実際には津川さんに渡したのは
99年か、01年だったかもしれない。)
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5歳のけんくんがセナを知っている理由
◆私の友人の息子さん(5歳・けんくん)は
今年の上海GPから
だしぬけにモーレツなF1ファンになったのですが、
お気に入りのドライバーはバリチェロ選手と
(たまたま初めて見た上海で優勝されたので)
琢磨選手のようです。
◆そのけんくんが、
琢磨選手が尊敬しているのは
アイルトン・セナというのを知って
セナに大変は興味を抱くようになりました。
◆5歳のけんくんにとっては
セナが既に亡くなってしまってこの世にいないという事は
なかなか理解しにくいことだったようですが、
彼なりに一生懸命わかろうとしている様子がありました。
◆けんくんはセナのお墓がどうなってるのか
とても気になったようで
セナの入っているハコ(棺)は何色なのかとか
地面からどれくらいの深さに埋っているのかとかを
こと細かに聞きたがりました。
(実際には自由画帳とクレヨンを持ち出して来て
図を書き始め、
さらに細かく「セナはどっち向きに寝てるの?」などの内容も
質問に含まれていた。)
◆そこで、琢磨選手の公式HPに載っていた
琢磨選手がセナのお墓を訪れている写真を
見せてあげました。
「コレ、琢磨なにしてるの?」(敬称略で失礼します)
と聞くので
「ウン、セナとお話してるんだよ」
答えておきました。
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◆けんくんは、
セナが既に居ないという事実以上に
セナが亡くなった時、本当に沢山の人が哀しんだという事を
とても重く受け止めたようです。
「蜜柑ちゃんも悲しかったの?」
(私の事を蜜柑ちゃんと呼びます)
とか、
「バリチェロも泣いちゃったの?」
などと聞かれました。
「蜜柑ちゃんもバリチェロも
琢磨選手もみんな悲しかったんだよ」
と答えておきました。
数日後のある日、目をキラキラさせて彼は言いました。
「けん(自分)ね、イイ事思いついたよ!
けんが大きくなったらF1ドライバーになって
けんがかわりにセナになってあげる!!!」
大変な事を思いついてしまったようです。
さらに続けてけんくんは
私の目をまっすぐに見つめながら
「あのね、けんはね、絶対に死なない。ずっと生きてるよ」
と言いました。
けんくんは本当に心の優しい子です。
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◆昨日(11月13日)にもけんくんに会う機会がありました。
同封した絵はその時にけんくんに描いてもらったものです。
◆今年の夏に
私の家でキンギョの赤ちゃんが大量に生まれたので
ある程度育った所でけんくんに差し上げました。
けんくんもけんくんの母である友人も大変な動物好きで
とても大切に飼って下さっていて
今でもけんくんは会うたびにまず
「キンギョね、とっても元気だよ!」と報告してくれます。
◆昨日会った時、
「キンギョに沢山名前付けちゃった」
というので聞いてみると
「あのね、シューマッハくんとね、
たくまくんとね、バリチェロくんとね、
あとBARくん!それからBMくん!
あとね、マクラーレンくん。
アイルトンくんっていうのもいるよ。」
だそうです。
キンギョは全部男の子と見なされたようです。
◆本当に見分けがつくのか多少疑問ではありますが、
それより聞きながら書き並べてみると
どうも差し上げたキンギョの数より
随分沢山の名前がある事に気付きました。
今度、けんくんのお家にお邪魔した時に
もう少し色々確かめてみたほうがよさそうです。
『静岡蜜柑』 04/11/14
(実際には1匹だけ女の子と認識された
「あいちゃん」というのがいて
一番最初に名づけられたのはこの子なんだけど、
そのヘンは省略してしまった。
もちろん「あいちゃん」が本当に女の子で
その他が全部男の子である保証は全く無い。)
(「けんくん」の名は
実際に渡した文書には本名の漢字で書いてあった。
けんくんの個人情報保護の為、ここではひらがなに直しておいた。)
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以上である。
(ついでに、本日は2件の投稿をしましたので、
お暇でしたら1つ前のハナシもご覧ください。)
↓
先日、PCに保存してある色々なファイルをバックアップしておこうと
CDRに焼きつける作業をしていたところ、
以前テキストファイルに書いておいて、
その内にサイトにもUPしようと思っていたのに
どこへしまったか分からなくなって忘れかけていた日記がみつかった。
一年ちょっと前の話であるが、
せっかくだからこちらに載せておく事にする。
この話の主役はチョキである。
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『03/09/9~10 とりこし苦労 (ええい、ままよ) 』
夕べの深夜の事。
時間の記憶はないけど、
ウォーターボーイズの最終回を録画しながら見て
シンクロのシーンが期待以上に良かったので
もう1回ビデオを見直した後だったので
11時過ぎくらいかと思われる。
チョキがそろそろ夏毛から冬毛に変わる頃なのか、
時折どこかが痒いらしい様子をみせるので、
もしや皮膚炎など起こしてはいまいかと
ちょっといつもより丹念にムネやおなかのほうまで
なでながら肌全面をチェックしてみた。
したらば肌には特に異常はなく、赤い炎症などもなかったけど、
ムネのあたりになにやらシコリの手触りを感じた。
時が止まったような感覚。
シコリというと癌。と脳内で直結。
癌でなくとも何らかの腫瘍と思われる。
良性の可能性もあるけど
ある程度高齢になってきているので
悪性の心配もぬぐえない。
それからとても寝つけるような心境でなく
取りつかれた様にネットで検索。
調べれば調べるほどこれは
「肥満細胞種」という怖い腫瘍ではないかと
だんだん確信に近いものが…。
夜更かしし過ぎたこともあって
朝のうちに獣医に行くのムリな事になり、
夕方イヌ達2匹ともをつれて獣医へ行って来た。
なんで2匹ともつれてったかというと、
ララは、チョキだけつれて出かけたりすると
サイレンの様に泣き叫ぶので置いてけなかったわけ。
チョキは一人で留守番できるのに。
さて診察室。若い女性の先生が登場。
触診してくれて
「あー、やわらかいので多分良性のものだと思いますけど
詳しい検査してみますか?」と。
ここで夕べからのド不安が30%ほど緩和さるる。
が、
「もしもの事があると大変だし、安心したいので」
と、検査をしてもらうことにした。
他に診察や治療の患者さんが多めの日だったので
すぐに検査にかかる事が出来ず、
「2時間ほど預からせて頂いてよろしいですか?」
とのこと。
「ハイ、構いません。ヨロシク!」とチョキのみおいて、
ララを連れて一旦帰宅、の時のチョキの
「何で!?!?!?」な顔がケッサクではあったが、
その時点ではのこり70パーのド不安により
乾いた笑いしか浮かべられず。
帰宅の途中、近所のコンビニで、
何故にかけんくんに遭遇!居るとは知らずに来たので
愛の喜び!
続いてノリタンタンのお母様にも遭遇。お迎えに来られた模様。
ノリタンタンのお母様、オルチ~の中のララを発見。
「あら、カワイイわねぇ。まぁ。中、暑いんじゃないの?
もう少し窓開けてあげて」
と、気に掛けてくださりまして。
で、チョキはけんくんを見るとバカ炸裂を起こすために
けんくんにはいつも遠くからしか会っていただけないんだけども、
ララだけなら大丈夫な感じがしたので、オルチ~から降ろしてみた。
帰路の途中で降ろされた事をいぶかしく思ったらしいララは
若干のハイテンション。ハテナと不安の裏返しハイテンション。
とはいえ、けんくんに対しクンクンと嗅ぎこみ点検は実地成功。
けんくんは両手をグーにして「気をつけ」の姿勢の上で
ちょっと不安げを含みつつテレ笑いしていた。
続いて店内でノリタンタンとも遭遇。
獣医サンの隣のドラッグストアで買った100円×2コの冷凍明太子スパゲッティーが
解凍されてしまう事も心配されたので、皆様にそれぞれ挨拶して自宅へ。
ララはチョキが居ないガレージに一人ではいられないこと請け合いなので
部屋に入れた。
何となくチョキがここにもいない、外にも居ないというのが
気になるのか、いつもなら部屋に入ってしばらくすると
スーコラ寝てしまうのに、今日はいつまでもドアの方を眺めたり、
無意味にこっちを見つめ続けたり、何か寝つけない様子。
その内、どうしてララが居るのに来てしまったのか、
すずヒメが音も無く現われ、音も無く奥の窓の方へするりと抜けて行った。
ララは首をかしげて様子をうかがって居たけど
散歩の途中でどこぞのねこさんと会ってしまった時ほどには大騒ぎを開始せず。
つまり普段、
散歩の途中でどこぞのねこさんと会ってしまった時ほどというのは
散歩ヒモを持つワタクシの
ウデキンニク、ウデスジ、ブチ切れんばかりの瞬発力が発動されるものなのだが、
そういうインパクトのある反応はなく、
こんな穏やかげにしているララを怖がるなんて
絶対にすずヒメの方が間違っていると感じたワタシは
窓べで「何かマズイ勘違いをしたらしい」と気付き始めていたすずヒメ
のたたずむ姿を、イイコにしてるラ~ラに見せてあげようと決心を固め、
「ラ~ラ、ほらそこにすずがいるよ、見てごらん」と
ラ~ラには優しく、すずにはソコ意地悪く、呼んでやった。
すずが「ふぐ~~~~~~…」と真剣にイカリだしたので、
じゃ、ラ~ラ、戻って、と言うと、
「はーい」って、これまた奇怪な程にイイコで戻るラ~ラであった。
その後、「フスマ5cm開け遭遇実験」ラ~ラVSすずを試みたけど、
やはり首をかしげてカワイーヤサシー視線ですずを見つめるラ~ラに対し、
「鬼ーーー!!!出たな!鬼ーーーーーーー!!!!!」を意味する
カーーーーーーーっつうか、シャーーーーーーーーっつうか、
という異常音波を発するすずなので、階段の上へ放してやった。
恨めしげに振り返りつつ、異常音波も重ねつつ、去ってゆくすずであった。
そうこうしているうちに、獣医サンから
「検査が終わりましたのでお迎えにいらしてください」
のデンワ。
再びララを連れて出かける。
待合室では、いつも以上に大変な不安と緊張で
ソワソワワナワナと落ちつかないララを待合室のベンチの隣のに座らせて
肩を抱いてなでてやってると、なんだかコチンコチンに固まっている。
ララは今日はついでに来てるだけなのに。
先に診察が終わった患者さんと飼い主サンが出口に向かうと
さりげなくついていって一緒に帰ろうとする。
どこ帰るの、アンタ。
今日は患者さんがずっと混み合っていたらしい。
ワタシとララの隣で待ってた女性も
「ヘンな風に暑いから調子を悪くする子も多いんでしょうねぇ」って。
うん、確かに。
しばらくすると三つほどある診察室の何処かから
カタカタカタカタカタ!とせわしないイヌ爪足音が聞こえ
同時にラ~ラがその音に反応してシッポを振り、
「○○さ~ん」と呼ぶ声がするとその診察室のドアが10センチほど開き
そこにチョキの顔がキレイにハマって出てきた。
診察室方向へ自分の意思で近づく事がありえなかったラ~ラが
チョキの顔めがけて走りよっていった。
普段、チョキにもあげたはずのホネガムでもお菓子の袋でも何でも
いっつもこっそり盗ってしまって、
チョキが返してほしそうにするとう゛~と意地悪を言うララなのに、
やっぱりチョキの事が大好きなんだと改めて思った。
検査の結果は「脂肪腫」で、良性であることが確認された。
へなへなへ~と腰がくだけそうになった。
夕べの検索の中に
恐ろしい「肥満細胞腫」以外に
「脂肪腫」の事もあちこちで見かけたが、
肥満の傾向のあるメスに多いという事から
オスであり、筋肉質であるチョキについては
コレではないんだろうな…コレだったら安心なのに、と思っていたのが
実際の所この事件の正体であったわけである。
「肥満の場合に多いそうだけど…」というのも聞いてみたが、
実際には痩せてる個体でも症例はあるし、
メスに多いといってもオスにもでることもあるし、と。
そして治療については
・今後さらに大きくなる事
・悪性になってゆく可能性
・炎症をおこしたり、キズになって出血したり…など
が、特に気になる場合は思い切って手術する事も
考えても良いけれど、
脂肪腫は「根を張っている」場合が多く、
そうなると大きな範囲で切除することになり、
その分、身体への負担も大きくなり、
良性であると分かっている場合、リスクを考えると
そこまでした方がよいかどうかというのは…どうだろう、
というのもある、といった所、とのこと。
では、心配がないなら、いいや。て事にした。
ただ、もっとどんどん大きくなっていったり
あっちこっちに出て来たりという事が起こらないとも限らず、
ただ、あんまりいじらない方がよいらしく、
なので、あんまりぐりぐりとつまんだりはしないで
そーっと触る感じで普段から変化があるかどうかも気をつけてみるということで。
検査料金¥3500ちょいを支払って
ようやく帰れる事がわかって
(さらに待合室にいた柴イヌさんが気になって気になって気になってオカシクなって)
2匹ではしゃぎ始めているイヌ達をひっぱって駐車場へ。
待ってる間はモノスゴイ良い子のフリをしてくれてて
まるでワタシはばっちり躾が出来てるよい飼い主サンであるかのように見えてたのに
最後に全て大なしになった。
まあでもそんなことはどうでもいい。
夕べからかれこれ21時間半、
もう既に、どうやってチョキとの最期の時を過ごそうか
などという事まで想像を巡らせたりなどの尋常で無い精神状態から
ウソの様に開放された。
深夜の検索の中で
実際に「肥満細胞種」で大切な愛犬を失った方の
看病・闘病の記録なども拝見していた。
そのワンさんは男の子のゴールデンでチョキと同じ年に産まれ
多分産まれ月も同じ頃と思われた。
昨年の1月に亡くなったワンさんだった。
そのワンさんの名前はなんと「セナくん」だった。
つまりセナくんもチョキも、あの94年(イヌ年)産まれという事だ…。
あの太陽と緑と水の国のスピードの化身だった彼が
何かのメッセージをくれたような気もしないでもない。
そろそろ17歳になるキャラもありがたい事に健在ではあるが、
チョキも9歳、ララも8歳であり、
中型犬としてはそろそろ高齢の域に入っている。
食欲も運動の状態もまったく老けた気配を感じないチョキララではあるが、
昨日から本格的に深刻に考えていた事態が
近い内に実際に起こる可能性はありうるのである。
今回の事は、心の準備というか、心の訓練のような事であったと
考える事にしたい。
2匹のイヌはすぐソコですやすやと眠っている。
2匹のネコも多分2階のどこかで、
同じくすやすやと眠っていることだろう。
全員が見事に天寿をまっとうしてくれる事を
常に祈ってはいる。
こういうことを思う時、やはり信仰について
どうしても真摯に考えてみたくなったりもする。
94年に去ったあの英雄をちょっと思い出しながら。
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追記として、
これは03年に書いた文章なので
現在キャラは18歳、チョキ10歳、ララ9歳になっており、
文中に出てくるゴールデンレトリバーのセナくんが亡くなったのは
2002年という事になる。
おかげサマで我が家のネコイヌは
最高齢のキャラを含めて全員健在であり、
キャラも全く持って今後も存分に長生きしてやるといった風情であり、
チョキ・ララも老けた気配を漂わせる予定は全くないかのようなアリサマである。
チョキの脂肪腫は発見した時からほとんど大きくなっている様子もなく、
他の箇所に発生することも今の所ない。
ありがたいことである。
November 21, 2004
タイトルのお話の前に、
横のほうの「こうさぎ」なんですが、
これには実はアクセス解析の機能があります。
それにより、今週の月曜はこのブログへのアクセスが
通常の20倍っくらいになっていたことが分かりました。
来てくださった皆様、本当にありがとうございました!
それでね、あのね、コメントひとことでもよいので残してくれると
ホントに嬉しいんですけど…。
「来た」「見た」のひとことで構わないんです。
どなたが来てくださったのか、お名前が知りたいんです。
お礼を申し上げたいんです・・・。
所で、もうあんまりまどろっこしい事書いていてもしょうがないので
先日の日曜のことなんですが。
東京に行って参りました。
kacchanさんとご一緒させていただいて、
佐藤琢磨選手にご挨拶をして参りました。
ちょっとなんか、ワザと誤解をまねく言い回しにしてみたね。みたでしょ。
いやいや、
Takuma Club Meeting 2004
というイベントに行って来たんですよ。
事前にkacchanさんに連絡をとってみたら、
kacchanさんもいらっしゃるという事で、
会場で無事お会いする事が出来たんですよ。
というのが正しい物語です。
そこでどんな事があったかというのは
興味がある方は琢磨選手の公式サイトで存分に御覧ください。
コチラでも既にコメントを書いてくださった
たろなおさん、ノアさんや
BBSの方に来てくださったorangeさん、sakiさん、
ぺんぎんママさんなどの登場で
イベント後も楽しい出会いがあった事をご理解頂けると思います。
所でですね、今日はさらにその後のお話です。
11月14日は「エリザベス女王杯」の日でもありました。
昨年のアレです。
競馬ってのは、実を言うとそんなによく見ているわけではありません。
たまに話題になるおんまさんがいると、ちょっと気になったりする程度です。
ただ、昨年このエリ女を遂に見事に制したアドマイヤグルーヴについては
あのお母さんの面影を追って、ちょっと普通と違う見方をしてしまっております。
とにかく、アドマイヤグルーヴの母、エアグルーヴは
こんなにこんなにかーっこいい女が世の中にいるもんなのかと、
もう騒いで騒いで大騒ぎの私でした。
思い出すだけでうっとりしてしまうあの97の天皇賞秋。
そのエアグルーヴの長女であり、父は今はなきサンデーサイレンスである
このアドマイヤグルーヴが母のようなスゴイ女になれるのか、そりゃ興味は尽きません。
どうも色々遡って考えると
私が佐藤琢磨選手にサロンパスを差し上げたのより少し前に
アドマイヤグルーヴはゴールを駆けぬけていたらしい計算になります。
東京から帰ってきて、旧型のハンディカムで撮影したビデオと
スカパの「F1を斬る!」の録画と、エリザベス女王杯の録画の三つ巴の中、
レディファーストだな、コレは、とまずアドグルを見ることにした。
2連覇してくれてたらいいけどどうかな。
スイープトウショウってどんな娘よ。
あのスティルインラヴ嬢もちゃんといるよ。
などと思いつつそれほど大きな期待はしないまま見ていると
なんとまぁ。
今年もアドマイヤグルーヴが勝った!!!!!
驚いたのなんのって、その強いこと強いこと。
あぁこの馬は本当にあのエアグルーヴの娘なんだな…としみじみと。
今年は5月8日、思えばジル・ヴィルヌーヴの命日にも
大きな幸せを二つ抱えて多少困惑した事があった。
この11月14日も、同じように
喜びと感謝の板ばさみという形になった。
どうも今年は東京へいくと素晴らしい事が複数に繁殖して満ち溢れるという
決まりがあるらしい。
全てに感謝。
November 15, 2004
◆ 2002 鈴鹿
いつもBBS 1号でお世話になっている
kacchanさんの サイト
『 kacchan の F1PHOTO観戦記 』
のTOPページにある写真をもとに描かせていただきました。
◆ 2004 インディアナポリス 予選記者会見
こちらは佐藤琢磨選手の公式HPのPHOTO GALLERYから描かせて頂きました。
所でですね。
ちょっと11月14日にとある所に出かけてきたのですが、
今回紹介した2点と前回の二番目の1点はですね、
その出かけた先である方に渡してきてしまいました。
ある方ってのはいったい誰かというと、
それについてはまたいつか機会があったら白状します。
November 07, 2004
事態の収拾を図る為にはやはり、この方法しかなかったようです。

大きいのはコチラをどうぞ。
こちらは、中日新聞 F1 EXPRESSの
琢磨コーナー 写真集 より、
スペインGPでの予選後記者会見の写真(河口貞史 氏 撮影)から
描かせて頂きました。
↓続きの方にあと数枚紹介させていただきます。やや重いのでご注意下さい。

大きいのはコチラ!
こちらはNumber Web、 MOTORのカテゴリーより、
西山 平夫さんのコラム『 佐藤琢磨 グランプリに挑む』の
カナダGPのページの写真(熱田 護 氏 撮影 )から描かせて頂きました。

PCで着色するとこのようになりました。
大きいのはコチラです。

もっと大きいのはコチラからどうぞ。
こちらは佐藤琢磨選手の公式HPのPHOTO GALLERY
2003 VALENCIA TEST の写真の一枚から描かせて頂きました。
こちらもPCで着色を試みましたが、時間がたりなくて、本日はココまで。





